④堤外飛び地の由来

 桜区の地図を見て少し疑問に思ったことありませんか。あるひとが故郷の友から「ずい分辺ぴなところに住んでいるんだね」と言われたそうです。ほんとのお話か分りませんが、地図には大字○○というところがあります。それは飛地です。

  大字○○は栄和・中島・西堀・南元宿・町谷・道場・新開・田島・関・鈴谷・上峰と、荒川、鴨川周辺の堤外にある番地です。

 

 村地代の民家は茅葺屋根が多く屋根材料の茅の供給地として村ごとに確保されていました。茅葺屋根は20年に一度程度ふき替えをする必要があり、秋になり刈り取った茅を長い間かけて貯蔵していましたが、これらは村の共同作業でした。家は独自で生きることは難しく様々なことは村という単位で行うことがどうしても必要でそれだけに村とは強い信頼関係と結びつきがありました。

 

 荒川は頻繁に水が出ます。今は水害ですが、上流から押し寄せた水は福を呼びます。頻繁に押し寄せる水は土地を沃地化させその土を運び肥料とすることもありしました。 水の流れなどで池や沼となった場所では村中総出で水抜きをして、かいぼり『掻い掘り』して鯉、鮒、鯰、鰻、鰌、ざっこ(雑魚)を取る楽しみもあり、水が出ればまた新しい魚の住処となりました。今、天然記念物になっている「桜草」もそのようにして繁殖したものです。